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月と星がお茶を飲んでいる世界

2023-07-11
5月から新型コロナが5類に移行し、だんだんと生活がコロナ禍以前に戻ってきました。
ただ、この3年間、いろんなところで「そういえばコロナ以前はどうだったっけ?」と思い出せないほど、生活の常識がガラッと変わってしまった場面もあります。
例えば、5類に移行して「マスクは個人の意思を尊重」と言われている今でも、人前に出る時はやっぱりマスクが礼儀なのかな…と思ってしまいます。
でもちょっと思い返すと、コロナ禍前では、ヒトと会う時にマスクをする方がマナー違反でした(その感覚を思い出せませんが、コロナ禍以前に書かれた小説にそんなシーンがありました)。世の中は絶えず変化していきますね。
 
一方、世の中が変わらなくても、「自分」が変わることで、世界の在り方が変わって見えることもよくあります。
例えば、ダンゴムシに興味を持ったその日から、園庭には急にダンゴムシが増え(て見え)ます。大人でも、車の購入を決めた途端、街中に急にお目当ての車が増える…という覚えのある方も多いのでは。
自分の内面の少しの変化で、今までとは世界が違って見え、それにより自分と世界との関わりもちょっとだけ変化します。
 
「朝になったら、星はどこにいるんだろう?」と話していた子ども達と先生

子ども「いつも夜光ってるから、休憩。」
子ども「月と星がお茶を飲んでいるから。」
先生 「…お茶を飲んでどうなるの?」
子ども「水色に色が変わって、空になる。」
 
なんて素敵な世界観でしょうか。これは『朝になったら星が見えなくなる』『空が黒から水色に替わる』コトについての、子ども達の解釈…仮説と言ってもいいでしょう。
世界をこう解釈した途端、いつもの朝が美しい物語となり、自分の生活を彩っていきます。
 
モノ・ヒト・できごととの出会いから、子ども達は自分の物語りを創造し、自分の住む世界を豊かにしていきます。
私たちはそんな世界に生きる子どもを、分からないなりに「この子は世界をこう見ているのかなぁ」と「解釈」し、それによって子どもとの関わりに変化が起きる。
その変化を子どもも「再解釈」しながら、世界に対する見方がまた少し変化する。
そう考えると、子育てというものは、「大人」という基準があって「子ども」だけが変わっていく…のではなく、お互いが変化し、育ち合い、世界との関わりをより複雑に変えていく、そのことが世界をも少しだけ変化させる。これは私の解釈…というより妄想なのかもしれませんが。
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