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表現
働きかけ感じ表現し共感する生活

 現代社会は、白黒を明確にする二進法的考え方やそれを基盤としたお金持ちになるという経済論理的な考え方による成功物語という単一の物語で動かされています。それらは利益や成果を出すことが唯一の価値であり、一人ひとりが描くその他の物語は認められません。その物語によって時間や思考や行動を制御され、人々の可能性を狭め、閉塞的な社会を生み出しています。
 
 これらの物語は、その方法や目標として保育や教育にも及び、目に見える形での成果を望むようになっています。しかし、人は結果を出す目的のためだけに生きているわけではありません。個々人が様々な物語を描きながら、全体としての物語が形成されるはずなのに、大きな単一の物語が人の生き方を縛り人間性を奪っている状況は、まさにチャーリー・チャップリンの『モダンタイムス』で描かれた人間が歯車として扱われる世界やミヒャエル・エンデが時間泥棒との闘いを描いた『モモ』の世界そのものです。いずれAIに取って代わられるこの物語を離れ、様々な物語によって心身ともに豊かな世界を描くためにはどうすれば良いのでしょう。

 そのためには、乳幼児のころから描いたり作ったり、音を出して楽しんだり、手ぶりや身振りで表したり、言葉によって伝え合うなど表現行為を充実したりすることです。人は表現することによって様々なものの生命を感じ、心の自由を得、生きる喜びを実感します。あるいは思考や手法を描くことにより整理し伝えます。またそこに表現され創造されたものにふれ、美しさにあこがれ、新たな心の動きや思考が生まれ、他者ではなく自己の物語を生成します。

 世界は、白か黒かという明快な世界の他に、微妙で複雑な有りようをしているのが当たり前の姿です。法則を発見したりそれを使ったりすることも人類にとっては重要ですが、それ以前に、善いものを善いと感じ、美しいものを美しいと感じることの方がよほど重要です。

 「自分の内なる言葉を表さずにはいられない」という人の心の動きは、乳幼児から命終えるときまでずっと存在し続けます。この「内なる言葉(言語ではなく)」は、表現したいという願いと同時に「感じること」が同時進行します。外界にふれて様々なことを感じ、そこに意味を与え、投げ返して関係性を結び、それが繰り返されることによって、確かな自己の物語が形成されます。

 できた・できないという目に見えやすいことで子どもを見たり、結果だけの世界に子どもを追い込んだりすることは、大変危険です。学びとは、知識を大量に教え込むことではありません。一人ひとりの興味や関心から始まり、感じたり感じ合ったりすること、思考したり探求したりすること、表すことという大きな流れが失われることなく学ばれるならば、きっと豊かでたくましい人生を送ることが可能でしょう。

 子どもたちの感じる力、表現する力は保育のなかにあって、より力強く開花します。その表現を皆様とともに共有し、語り合い、喜び合えますよう願っております。

社会福祉法人赤碕保育園
理事長 福田泰雅


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