学びとは勘違いの繰り返し(なのかもしれない)
2023-01-12
新年あけましておめでとうございます。世界も身の回りも、暗いニュースが目立つ一年でしたが、少しでも明るい、あったかい年になりますように。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、新一年生たちから、赤碕こども園にたくさんの年賀状が届きました。
その年賀状を見ながら、なつかしい思い出話に花を咲かせていたのですが、その中のKさんエピソードから「子どもが学んでいくってこういうことなのかもしれんなぁ」と感じたので紹介します。
昨年、年長が一所懸命取り組んでいた平和プロジェクト、その中で「プーチン大統領に手紙を書こう」ということになり、それぞれが平和への思いを込めて絵を描いていました。ある男の子が、「戦争はやめてほしい。みんなが困ってる」と、戦車2台が打ち合っている絵、それに対する大きなばってんを描きました(絵1)。
さて、その隣でKさんも絵を描いていたのですが(絵2)、Kさん曰く、「やかんとお鍋が火にかかってて、あんまり熱くなると危ない…」…おや?
どうやら今どんな活動をしているのか理解しないまま、男の子の戦車の絵を真似ては見たものの、それを「やかん」と勘違いし、そこから反戦とは全く無関係の物語が彼女の中で展開されていったようでした。
さてそのKさん、卒園間際にケーキを作った時「このケーキプーチン大統領にプレゼントしようか?『ありがとう』って言って戦争やめるかも」とつぶやき、そして小学生になった6月の参観日、こども園の先生を見つけるなり「プーチン大統領から返事来た?」と、真っ先に尋ねてきた、というのです。
「話を聞けてなかった子も、こんなに成長した」…と言いたいのではありません!
こうした、「ちゃんと話聞いてたの?」と言いたくなるような「勘違い」の中にも(中にこそ)、「自分で学んでいく」「世界を発見していく」という子どもの学びの本質があるのでは?と思うのです。
皆が同じように理解する…ということはありません。皆が同じスピードで学んでいくこともあり得ませんし、大人の「こう学んでほしい」という意図をそのまま受け取ることもありません。Kさんはゆっくりゆっくり、勘違いしながらも、彼女の生活、彼女の見る世界、彼女の心の揺らめきに合わせ、自分で世界を発見しています。
隣りの子の絵から、勘違いにしても、「なんだかよく分からないけど」無理くりにでも自分で意味を発見し・創り出し、自由に表現し…。むしろ「分からない」からこそ、自分で世界を発見していく余地があります。
そして一度きりの納得ではなく、勘違いも含めてその納得の上にまた「やって見て」その後も発見し、自分なりの意味を見つけ、問い続け、それを積み重ねていく、そういう生活を送っていったのでしょう。
その積み重ねが「プーチン大統領は私たちにどう応答したのだろう?」という問いにつながっていった…、というのは、これもやはり私の「勘違い」なのかもしれませんが。