子どもたちの生きている世界
2022-11-09
昨年の東京オリンピックをきっかけに、そしてロシアがウクライナに侵攻した衝撃から、子ども達は何とか行動を起こそうと「戦争と平和」について対話を続けてきました。
最初の頃は、「倒すしかない」「やっつければいい」と言っていた子も、でもそれでは解決にならない…と、答えのない問いに対話を繰り返し、自分たちの想いを更新し続けています。(→2022年3月9日園長ブログを参照)
先日、北朝鮮がミサイルをたくさん発射したニュースの話題が出た時のこと。
「ミサイルが飛んでこなくなるには…」と、年中のМさんは、「世界の祭り図鑑」に載っていた台湾の色鮮やかな屋台の写真を見ながら、語り始めました。
「こういうお店をこども園の中に作れば仲良くなれるよ」
「きれいだと仲良くなれるよ」
「きれいなものを見たら気持ちがよくなる。」
この言葉は、大人たちに一つの本質を突きつけます。
世界には「美しい」ものであふれています。祭りの情景はもちろん、日の光に輝くクモの巣、泥の中に反射する太陽、美しい言葉…。そういう世界をこわしたくない、ただそれだけで、本来は戦争なんてやめることが出来るのだと、シンプルにMさんは世界に向けて語り掛けます。そして…
『美しい』と同じように、『嬉しい』のあふれる世界
「プーチン大統領にもケーキあげようか」「ありがとうって言って戦争をやめるかもしれんよ」
『楽しい』が全ての原則であるような世界
「ミサイルを水風船にして、銃を水鉄砲にしたら、楽しくなるよ」
『美しい!』『楽しい!』『嬉しい!』が根本にある世界に、子どもたちは生きています。もちろん、現実はそんな簡単なものではありません。大人はいつの間にかその世界を離れ、複雑な世界でないと生きていけない現実は確かにあります。でも、「本当はどうなの?」と、子ども達の言葉が訴えかけてきます。
最後に… 「プーチン大統領にはお母さんおらんのかなー」とつぶやく子がいました。
「美しいね」「嬉しいね」「楽しいね」と、共有できる人がいなくては、子どもたちがその世界に生きることはできません。また私たちも子どもの生きるその世界に触れることもできません。子どもと思いを共有出来ることの幸せ、愛されて幸せだなーと思えることのかけがえのなさを思います。