目の前の今
2022-10-12
目の前の今
毎年彼岸になると、田んぼの畔に「ヒガンバナ」が見事に咲き乱れます。見るたびに「本当に彼岸に咲くんだな」と思うのと同時に、「咲く前は一体どこで何してんだろう?」と不思議に思います。
昨年のことですが、おひさまぐみ(0歳児クラス)をのぞくたび、僕の顔を見た途端、その瞬間の体勢で固まってしまう子がいました(片足上げていたとしたら、本当にその体制のまま動かなくなるんです)。気まぐれに現れては慣れ慣れしく手を振ってくる中年男に恐怖を感じていたのでしょうか?それともこの人間が自分にとってどういう存在なのか見定めていたのでしょうか?
「いつか笑顔が見れるようになればいいなー」と思い、1~2か月ほどたったある日、突然その子がとことこと歩み寄り、「ニコッ」とほほ笑んでくれたのです。
「そうなってほしい」と思っていた瞬間だったはずなのに、いざその時が来ると、うろたえてしまうものだと、自分でも驚きました。
全くの私事で申し訳ないですが、一人で県外に出たこともない我が娘が、高校の時に急に海外ボランティアでアフリカ某国に行ってきたことがあります。反対する間もなく補助金を得る方法を自分で調べ、手続きを進め、狂犬病やマラリアなどの予防接種も打ち…。最後までオタオタと心配するだけで涙目で見送った父親をしり目に、当の娘は「楽しかったー」と帰ってきたのですが…。
おひさま組の彼女も、我が娘も、その成長・変化を望みながら、僕の中のどこかに、相手をずっと変わらない存在だと信じたい気持ちがあったのかもしれません。でも、「じっと動かずに」見えていたその時にこそ、ヒガンバナが土中で着々と準備を進めていたように、彼女たちの中でも外からは見えない変化を積み上げていたのでしょう。
大人にとっては「いつもと同じ日常」に見えても、子ども達は日々新しく世界と出会いながら、「自分を成長させる時間」を重ねていったのでしょうね。そして変化を見せるのは突然です。
ある日を境に「トウモコロシ」とは言わなくなり、自分のことを「〇〇ちゃん」と言わなくなり、やがて親と離れても大丈夫になり、家族以外にも一緒に居たい人・場所が広がり…。
「今よりももっと…」と子どもの成長、自立を望みながら、いざその時が来ると、喜びと共に寂しさも感じます。 毎日変わらず繰り返されると思っていた「目の前のその子といる今」が、2度と出会えないかけがえのないものだったということに、いつも後で気づくんですよね。