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『くも』が綺麗ですね…

2023-07-05
その昔、ある学生が「I love you」を「我、あなたを愛す」と直訳したところ、英語教師であった夏目漱石が「日本人はそんな言葉は使わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておきなさい」と言ったとか…。
これは、漱石らしいロマンチシズム、日本人の奥ゆかしさを表現したもの、風流をたしなむ心…等と捉えられてきましたが、この逸話を読んで、ふと思ったことがあります。
 
今秋のことですが、あるクラスの運動会練習。出番待ちの子どもたちが、テラスでゴロンと仰向けに寝転がっていました。「待つ時の姿勢は~?」なんて声をかけようかと思い近づくと、「センセー、あそこ、『くも』がキレイ~」と寝転んだままの男の子。「なー、キレイだよな~」と、これまた寝転んだままの女の子。
へー、雲を見てそんなこと言うんだな~…と、姿勢を注意しようとしていたことは忘れ、子どもたちに向かって「雲がきれいなんだー。秋だもんなー」と、後から思えば見当違いの共感を示したところ…
子ども達は「この先生、わかってないな」と感じたんでしょうね。
「こっから見てみて―」  「どれどれ」と、並んで寝転び、子どもたちの視線の先に目をやると…
 
なるほど、「くも」は「くも」でも、二本の木の間に張られた、大きなクモの巣。それが太陽の光にあたってキラキラと輝いています。ちょうど子どもたちが寝転がっている場所からでないと、うまく見えない光加減。
「うゎっ!本当、『キレイ』だ!」と、子ども並んで見ることで初めて、感動を共にすることが出来ました。
「なー、いろんな色があるな―」「虹みたい」「あそこは見えんけどなんで?」「どうにんなっとる?」等々、子ども達はその後もクモの巣の「キレイ」と「不思議」を共有していました。
 
日本は古くから子どもを「おんぶ」してきました。母子は自然と同じ方向を向くことになり、浮世絵にも、そうした構図のものが多くあります。「我、あなたを愛す」は、お互いに向き合っている関係なのに対し、「月が綺麗ですね」、「くも(の巣)がきれい」は、この母子のように二人が並んで「同じもの」を見ている。
私たちは、子どもを対象として「向き合って」見ることが多い。そうすると、あくまで子どもと違う立場からの「できる・できない」等の評価目線になりがちです。もちろんそれも大事ですが、時には子どもと同じ所に立ち、子どもの興味の対象を並んで見る、そうして初めて見えるもの、気付くもの、生まれる心、共有する喜び…、それらが、並んでいるその関係性の間に作られる、あるいは生まれてくるものだと、感じます。
 
さて、2月19日から「みんなの生活アート展」が始まります。作品には子どもが何を見て、何を楽しんで過ごして来たかが表されています。何に興味を持ち、どんな探求をしてきたのか、なにを「きれい」だと感じ、この世界をどう見ているのか。その視線の先を、子どもと並んで一緒に感じてみましょう。
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