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対話に向かう姿勢(2024年12月園だより)

2025-09-10
0歳児の生活をのぞいて見ますと、子どもたちが友だちと関わろうとする姿が見られ、その成長に驚く日々です。例えば、ままごとのお椀とレンゲを使って他の子に食べさせてあげようとするシーン。レンゲを差し出された方も口を開けて食べる真似をし、そして両者ともそのやりとりを楽しんでいる様子がうかがえます。0歳児同士、まだ言葉によるコミュニケーションはできないのに、食べ物があるつもり、食べさせてあげるつもり、「ほんとじゃないよ、ごっこだよ」という「目に見えないもの」を共有しています。どうしてこんな成長が現れるのか驚くばかりです。
ただ、この「言葉によらないコミュニケーション」の背後には、やっぱり保護者さんや先生方の「言葉によるコミュニケーション」が大きくかかわっているのかな、とも思います。
以下は、「あ」だけでコミュニケーションをとる0歳児と、それを代弁する先生の記録。

Aさん:「あ」と言って手を伸ばす
保育者:「Aちゃんはちょうだいって言っているのかな?」
Cさん:「あ!」足元に落ちていたくしゃくしゃの折り紙を拾ってAさんに渡す。
保育者:「Aちゃん、Cちゃんがどうぞって持って来てくれたよ」
Aさん:嬉しそうに受け取り、持っていた容器に入れる。
保育者:「Cちゃん、どうぞしてくれてありがとう~。Aちゃん、ありがとうだね」
Aさん:保育者の言葉を聞き、あたまをこてんと傾ける
Cさん:Aさんの姿を見て、頭をぺこりと下げる

一見何気ない場面ですが、どうしてこんなコミュニケーションが可能なんだろうと、子どもの成長の不思議に驚きます。この記録の考察で先生は『子どもの思いを推測し、言葉をかけています。本当は違う思いもあったかもしれないので、その後の子どもの姿を観察し、振り返りをしています』と綴っています。「本当は違うかもしれない」と言うように、子どもの言葉を代弁しようとするとき、もしかしたらそれは「勘違い」や「思い込み」の可能性も大いにあります。
ただ、「もしかしたら勘違いかも…」と思うことが、自分の中に相手の思いに対してよりたくさんの可能性を用意し、それが相手と対話をする準備となっている、と感じます。「きっとこうだ」と断定するのではなく、「ああかもしれない。でもこうかもしれない。自分の思っていることは違うかもしれない」と既に自分の中で対話がおきている。もうすでに対話が始まっている、という状態は、安心して子どもがその対話に加わっていける準備でもあるのかな…と思います。
0歳児の子どもたちが日々のびのびと他者に関わっていける、その背景にはこうした安心できる関係性があるのだろうな…と、先生の記録を読んで思いました
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