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自分たちの事を自分たちで、ゆっくりと(2024年9月園だより)

2025-07-24
数週間前、あるクラスの朝の会で、非常に面白い議論が始まっていました。議題は、その議論をまさに行っている朝の会の座り方について。
いつもは年少・年中さんが前で床に座り、その後ろに年長さんが椅子に座っている、というもの。この日あるきっかけから全員椅子に座りたい、ということになり、それなら並び方は今のままでいいかな?というのが話し合いの発端だそうです。子ども達からは、「輪になって座る(A案)」という意見と、「教室のように並んで座る(B案)」の二つの意見が出ていました。
さて、子どもたちはそれぞれの座り方の利点を主張し合うのですが、そこから先、さあどう決めよう?となっても、「こっちの座り方がいい」「こっちがいい」の堂々巡りです。
担任の先生は、この話し合いにたっぷり時間をとっていました。あとで聞いたところ、「どっちに決めるか、というより、『決め方をどうするか』を子どもたちに考えてほしい」とのこと。
自分たちの関わることを、自分たちで決める。たかが朝の会の座り方…と思うかもしれません。そんなこと先生が決めればいいと思うかもしれません。でもここで担任の先生が大切にしようとしたことは、「答えにたどり着く」ことそのものではなく、たどり着こうとするその過程です。先生はその後も「早く答えを出すこと」より、自分たちがどう話し合いをしていくかを、コーディネートしていました。
この後もどうしても話し合いが堂々巡りになるので、担任の先生から「1週間ずつ2つの座り方を試してから、そのあとでまた話合ったら?」と提案し、それはそれで、じゃあどっちの座り方を先に試すか…でまた話し合いが続くことになるのですが…。
さてこの対話から2週間後、あの後どっちに決まったのか担任の先生に聞いてみると、実はまだ決まってないとのこと。面白いことに、あれだけ「こっちの座り方がいい!」と言っていた子どもたちが、試行期間を経て「相手の座り方もいいな」と、相手の意見を受け入れ、認め合いだしたそうです。今では日替わりで子どもたちがどっちの座り方にするか決めているようです。
今すぐ結論を出そうとせず、ゆっくり時間をかけて過程を大切にすることで、大人が「こんなことを学んでほしいな」と願う以上のものを、子ども達は自分で学び成長していくのですね。
※ 後日譚:先日、あっさり「輪になる」座り方に決まったそうです。「座り方議論」の後、どんなことでも子ども達が話し合って決めることが当たり前になり、輪になる事で自分が何をだれに向かって言っているのか、誰の意見を聞いているのか、自分たちがこのクラスという社会に参加し、意思決定をしているということが実感できたのかもしれませんね。
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