2024年6月園だより「子どもアドボカシー」
2025-07-24
先月、「全国子どもアドボカシー協議会」というところから、全国セミナーで赤碕こども園の実践を紹介してほしい…という依頼があり、2020年度の年長による平和プロジェクトについて語ってきました。
「子どもアドボカシー」、私も今回初めてこの言葉を聞きましたが、全国子どもアドボカシー協議会のホームページを見ると、「子ども達が、自分にかかわるあらゆることに関して、そこに参加する権利(意見を表明する権利)を保障していく」、というものだと私は解釈しています(アドボカシー、という概念が日本語に訳すのが難しいそうですが)。当事者の言葉にすると「私たちを抜きにして私たちのことを決めないで!」ということでしょうか。
「平和プロジェクト」とは、4年前の東京オリンピックの時、「オリンピックは平和の祭典」という言葉から、「平和って何だろうね?」ということを子どもたちと探求したプロジェクトです。
「平和」と聞いて思いつくことを話し合ったり、平和の色や平和の匂いについて語り合ったり、平和と感じる場面を写真に撮ってみたり、平和の絵を描いてみたり…。本当に豊かな子どもたちの表現が出てきました。私にとって印象的だったのは、台所の音や、油で揚げるにおいに「平和」を感じている子。すごく分かりますね。
そうやって「平和」を楽しんでいるところに、突然ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが飛び込んできました。ショックを受けた子どもたちは「これじゃ平和じゃない真っ黒な地球になっちゃう」と、自分にできることを話し合いはじめます。「戦争やめて」ってプーチン大統領に伝えたいけど、怒ってこっちまで攻撃されるのでは?そんな不安と葛藤を抱えながら子どもたちは対話を続け、結局総理大臣や県知事、琴浦町長に手紙を仲介してもらうことを思いつき、実行しました。
その時、ある子が次のように言います。「でも、プーチン大統領が何でそうするか?とか、どう思っとるかとか、全部聞かないけん。だってプーチン大統領の考えとる事分からんもん」。この言葉が出てくるに至った子どもたちの対話に驚くと同時に、今思い返せば次のようにも感じます。
ウクライナ侵攻に心を痛めた子どもたちは、これを自分たちの問題として声をあげようとしました。でも、怖くて声を直接上げられない。そうした「意見を表明する権利」「社会に参加する権利」・最初に触れた「アドボカシー」が保障されない社会に大人がしてしまった。それなのに、当の子ども達が、「プーチン大統領が悪い」という雰囲気になっている時にも逆にその声さえもを聞こうとしている。これでは誰が誰の権利を守ろうとしているのか…立場が逆ですね
子ども達が、安心できる社会・関係性の中で自分の表現を発し、受け止められ、応答される…。それをアドボカシーと言うなら、せめてこどもを取り巻く空間だけでもそんな安心できる場所にしていきたいなと思います。

