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失敗こそ面白い(2023年10月園だより)

2024-11-12
夜のライトテーブル
一気に涼しくなり、玄関先の落ち葉に秋を実感し始めた10月、今週から秋の保育参加が始まっています。その中で、再来週保育参加を計画しているつきぐみさんが、星空をテーマに夕方から行う、ということで、ちょっと夏に行われた夕涼み会での失敗談を思い出しました。
保護者会主催で開催された「夜の園友会・夕涼み会」では手作りゲームや巨大迷路&肝試し等、相変わらずの保護者さん方のパワー・アイデアには圧倒されたのですが、職員からも負けじとアイデアが出てきました。園にあるライトテーブルを集めて夜の園庭に並べてみたら!?このアイデアを聞いた時、私の脳内には、ライトテーブル上に並ぶ美しい素材たちや、ライトに照らされる子どもたちの笑顔…が思い浮かびワクワクしたのですが、結果は…
「想像」するのと、「本当はそこで何が起こるのか」とでは、違うものですね。夏の夜、しかも外。光に集まってきたのは子ども達…ではなく、大量の羽虫・羽虫・羽虫!なまじ物の形をはっきりと映し出す光るボードの上には、私でも思わず後退りする光景が広がっていました。

数年前、赤碕こども園の子ども達が小学校に入ってどんなことを考えているのか…について大学の先生がインタビューして下さったことがあります。その時の子ども達の言葉の中に「失敗はないんだ」というものがありました。
「失敗がない」とは、子どもによっていろんな意味を持っているようです。
「(他人が求めていることは)できなくても、人と違うから失敗じゃない」という子。
「自分の独自のものだから、失敗じゃない」
「(赤碕こども園の子は)『できん、出来ん』といいながらも、頑張って完成させる」等々…

誰かが求める結果に当てはめて見れば、それに当てはまらないものは「失敗」とカテゴライズされますが、基準を自分に置けばその出来事の意味は違ってきます。そもそも子ども達は、この世界に初めて出会うモノばかり。誰かが決めた「成果」と「失敗」があって、失敗することが許されないとしたら?初めてやってみること、挑戦してみること、そのすべてに誰かが決めた「〇(まる)」をもらわなければいけないとしたら?それでどうして世界と関わっていく意欲が生まれるでしょうか。ヒトも出来事も、自分の想定内じゃないから実際に出会う意味があり面白い。失敗に見えるものこそ、新たな探求が始まる物語りのスタートなのです。
光の中うごめく大量の羽虫に呆然としながらも、「やって見て初めて『本当はどうなのかが分かる』んだな」と妙に納得しながら思ったのでした(負け惜しみではないですよ)。

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