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無条件に優しい…わけではないらしい

2022-07-14
子どもの姿を見ていて「すごいなぁ…」「おもしろいなぁ」とため息の出ない日はありません。園だよりでも、「子どもって素晴らしい!」を連載していますが、もちろん子どもたちは「天使」ではありません。

すごく優しいかと思えば、なかなかに残酷だったり、ファンタジーの住人かと思えば、超リアリストであったり、寛容とわがまま、創造と破壊…
「子どもってこんなもの」と言い表せないたくさんの「矛盾に見えるもの」を抱えています。
そりゃそうだ、人間だもの。
 
ある時、先生方の話しを聞いていると、同じクラスの年長さんについての異なる2つの証言が出てきました。

証言1:「最近すごく手伝ってくれるようになって、困っていると『これしといたよ』って、こっちが何も言わなくても給食の準備してくれてたり…」
証言2:「最近片付けやお手伝いしなくなって…当番活動を『やってる風』に見せかけて、手を抜くことが多くなったと言うか…」
さて、一見矛盾するこの二つの証言、どういうことでしょうか?
 
どうやらよく話を聞いてみると、前者は、先生や友だちが「本当に」困っている時。
後者は、困っているから手伝うのではなく、それ(お手伝い)をすることが「決められて」いる時。
 
僕がクラスを受け持っていた時、不注意で左手首を骨折してしまったことがあります。
ギプスをして不便そうにしている僕に替わって、子どもたちは本当にいろいろしてくれました。布巾は両手じゃないと絞れないので、率先して子どもたちが水仕事をしてくれましたし、机なんかも「先生は座っといて!」と運んでくれます。役に立つのが楽しい、そんな様子でした。

ただ、無条件に優しいわけではないんですね。
子どもたちの優しさに甘えて「これも持って行ってくれる?」と、何気なく自分でも出来る頼みごとをしようものなら、「それだったら片手でも出来るでしょ」とバッサリ。
 
子どもは「何が必要なのか」「何が必要とされているのか」を、ちゃんと見極めていますね。
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