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何者かになろうとする存在

2022-02-07
あけましておめでとうございます。(と言っても、ブログに挙げるのをすっかり忘れてしまい、2月になってしまいました。)

コロナ禍の中での年明けもこれで2年目。最近はかなりおさまっていますが、世界中にオミクロン株が蔓延している影響は、仕事・経済・生活のあらゆるところに表れています。今までにも変異株が現れるたびに感染の波が繰り返されており、今回のオミクロン株もこの先どうなっていくのか…、という不安を抱えての年越しとなりました。とは言え、すべきことは今までと一緒。手洗い・うがい、3密の回避等、感染対策を行いながら子どもたちの楽しい日常をこれからも一緒に作っていきたいと思います。
 
ところで、新年と言えば「今年の抱負」ですね。
1月1日に「なりたい自分」を決める…というのは、実は心理学的に理にかなっているそうで、新年や誕生日など、特別な日に目標を立てると、年間を通して目標に向かって努力できている割合が有意に上がるそうです(まあ大抵の場合、大みそかに「そんな目標立ててた?僕が?」と思うのが常ですが…)。

ただ、子どもたちには当てはまらないかもしれませんね。子どもにとっては一年365日、どの日もまたとない特別な一日。日々、常に「なりたい自分」になりつつありますから。

「なりたい他者」を演じている、と言ってもいいでしょうか。ことりぐみさんや、はなぐみさんのままごとも、まさにそうですね。1月4日、新年の保育が始まったその朝にも、2歳児さんのクラスでは、早くから来た子たちがままごとで楽しんでいます。大好きなお母さん、お父さんになりたくてなりたくて、実際にお母さん、お父さんを演じる「ままごと」が、好きな遊びランキングのトップです。3歳以上児さんの「お店屋さんごっこ」も、ファンタジーの世界を遊ぶごっこ遊びも、歌やダンス、相撲も…子どもたちは、「そのやり方を知らない」けど、「その者になろうとする」ことを通して、つまり「遊びを通して」日々学び、今の自分ではない何者かへ成長しつつある…と見ることもできます。
 
そして私たちも、知らず知らずのうちに、我が子が「何者かになりつつある者」という事を前提に、彼・彼女たちと接しているんですよ。「そんな小難しいこと考えてないよ」と、言われるかもしれませが、思い返してみてください。私たちは赤ちゃんだった我が子に対して、「まるで言葉を理解している者に対するように」しゃべりかけますよね。今はまだ言葉を理解しないからと言って「話しかけてもムダ」なんて人はいないでしょう。つまり私たちは「今その子に何が出来るか」に留まらず、「それを超えた何者かになろうとしている」ことを前提に彼らに向き合っているのです。

今を超えた他の何者かになろうとしている子ども、そして、なりつつある誰かとして接する大人。「成長」とは、どちらか一方だけでは成り立たない相互作用だということを、改めて思います。
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