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「相手の思いに寄り添う」という言葉の本当の意味

2021-11-02
「相手の思いに寄り添って」…
「子どもの時間・ペースを尊重して」…
子どもに関わる上で大切にしたい言葉として、よく聞きます。親として、教育者として、常に心に留めておきたい…。でもこの抽象的な言葉を実行するとは、具体的にどういうことなんでしょう。

先日、赤碕こども園の子どもたちに、それを教えてもらいました。
 
先日行われた運動会、あるクラスで、「水鉄砲で的を倒す」という競技がありました。その的はなかなか倒しにくく、2人同時に水を当てる等、ペアが協力してクリアしていきました。
ところがあるペアの年長さん(H君)は、相方の年少さん(Kさん)が何度も水をかけるのに倒れない様子を、助けようとせずにじっと見ているだけのようでした。途中、近くの先生から言われて手伝う場面もありましたが、その時も全力で水を出そうとはせず、時間はどんどん過ぎていきました。
 
彼は手伝うのが嫌だった?  もちろん違います。
実はH君、最初Kさんに「手伝おうか?」と聞いたそうです。その時にKさんは「自分で倒したい」と応えています。実はこの「水鉄砲」のポイントはKさんが発案して出来た種目。自分で考えた種目をどうしても自力でクリアしたかったのでしょうね。普段難しいことには消極的になりがちだったKさんでしたが、この時どんなに時間がかかってもやる気十分の表情で挑み続けていました。そして彼は(どんなに時間がかかろうとも)その気持ちを最大限に尊重していたのでした。先生が「手伝ってあげようか」と促した時も、H君はあくまでKさんが自分の力でやり遂げるように、細心の注意を払いながら、加減して水を当てていたのです。見た目は何もしていないようですが、彼は全力で寄り添っていたのです。
 
「寄り添う」前に、H君はKさんがどうしてほしいか聞いていますね。
この「聞く」ことなしに「相手の思いに寄り添う」ということは絶対にありえ無いのではないかと、僕は思います。だって、相手が何を思っているかは、他の人には絶対に分からないのですから。「聞く」ことなしに寄り添おうとすれば、それは「ただ放っているだけ」、もしくは、「こうして貰ったら嬉しいに違いない」という自分の思いの押し付けになってしまうかもしれません。

単に「そっと側で見守る」だけでなく、「こうしてあげたらいい」という押しつけるのでもなく、まず相手の思いを知ろうとする、そのうえでその思いに寄り添おうとする。結果としてのその姿自体は控えめに見えますが、実はとっても「主体的」で「積極的」な行為なんですね。
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