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「知る」ことに頼らない学び

2022-05-13
ある先生が、「子どもの自由な発想を大事にすることと、正しい知識を伝えること」の兼ね合いについて悩んでおられました。
これは難しい問題ですね。自分にも何が正解なのかは分かりませんが、この悩みを聞いて、「センス・オブ・ワンダー(レイチェル・カーソン著)」という本に書かれている一説を思い出しました。

「『知ること』は『感じること』の半分も重要ではない」。

長い間、この言葉の意味がよく理解できませんでしたが、最近子どもの姿を見ていて「こういうことかな?」と感じるようになりました。
 
子どもを見ていると、「感じて」「表現する」ことを繰り返して学んでいると感じます。よく例に挙げますが、赤ちゃんが初めて立ち上がる時も、自分がやってみた結果から感じ、感じたことを次の表現(やってみる)につなげて、やがて立てるようになっていきます。
言ってみれば、「立ち上がる」ということを「知る」前に、立ち上がろうとしますね。

同じように、子どもたちは「知る」前に描き、歌い、踊り、話し、考え、そのことによってどのように描き、歌い、踊り、話し、考えるか…を学んでいきます。逆説的ですが。
 
赤ちゃんに「正しい立ち上がり方の知識」を教える親はいないと思いますが、でも時として描き方、歌い方、踊り方、そして考え方の「正解・知識(そんなものがあればですが)」をまず教えようとし、間違いを正そうとすることはよく見かけます。

その結果、何が予想されるでしょうか。

子どもたちは自由に表現することを恐れ、どこかにある答えを求めるようになるかもしれません。先生や親がどういう答えを求めているかだけ考えるようになり、自分でやってみる・試行錯誤する・探求する前に「答えがあるならそれを教えて」と思うようになるかもしれません。
 
自由に描くとき、何かを感じ体が自然に動くとき、安心しきって鼻歌を歌う時、友だちと自分の思いを語り合う時、ごっこ遊びで自分ではない誰か(何か)を演じている時、安心して表現し、違いを楽しみ、安心して間違えられる時、子どもたちは知ることに頼らない成長をしてる…、そういう学びもあるのだと思います。
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