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「星の王子様」の世界に生きる子どもたち

2022-02-07
園庭にある「サウンドガーデン」。ここから飛び出し、園庭中の「かくされた音」の探索を始める子の姿も。
赤碕こども園では、子どもの興味に関心をもつ、ということを大切にしています。
でもそれは単に「子どもが何に興味を持っているかを『知る』」…それだけではないと思います。
例えば…、天気のいい日、子どもたちは園庭で遊ぶのが大好きです。そんな子どもたちにとって園庭はどう見えているでしょう?ちなみに僕にとって、園庭は園庭、目に映る姿が全て。 普通はそうです。でも…
 
ある子は園庭から化石を発掘します。
ある子は、スティックを持ってあらゆるものを叩いて音を楽しみます。
ある子は、園庭で遊んでいても、いろんなにおいの「存在」を感じます。
ある子は毎日タモを持って池の中を覗き込み、ある子は虫を探すことに1日をかけています。
 
ある子にとっては、園庭は「カナディアン・バットランド(世界で一番化石が見つかる場所)」です。僕には草と真砂土の地面ですが、彼にとってはあちこちに宝物が埋まっているのが見えているのかもしれません。

ある子にとって、園庭は楽器として見えるでしょう。至るものが未だ奏でられない音を内包していて、自分の持っているスティックをきっかけに歌い出すのをうずうずしながら待っている…、そう見えるでしょう。

ある子にとっては、目に見えている園庭にレイヤーを重ねるように、匂いの世界も重なって見える、時には自分に語り掛けてくる相手として漂っている、そんな空間として見えるのかもしれません。

ある子にとっては、池は宝物を隠している鏡、またある子にとって草むらは冒険の森…

同じ園庭でも、その子が何に興味を持っていて何を探求しているかによって、見え方は全く変わってきます。
(面白いのは、別々の世界の見方を子ども同士が共有し始めるんですね。別のクラスの「音や匂いを見る」という見方を、自分たちの興味の対象にも取り込む、そんな姿がアート展では見られます)
客観的に子どもを見ていても、園庭はいつまでも園庭のままです。一人の子どもの興味に関心を持つ…、それは僕にとっての「園庭」、ひいては世界そのものが今までとはガラッと変わって見えてしまう、そんな一大パラダイムシフトを伴うものです。
 
大好きな童話「星の王子様」に、別れを悲しむ「ぼく」に王子様が語りかける場面があります。
「君が夜空に瞬く星を見る時、僕がそれらの星のうちの一つに住んでいて、そこで笑っているから、君には、全部の星が笑っているように見えるはずだよ」「大切なものは目に見えないからね」
 
園庭全体が笑っているように見える…、そんな世界に子どもたちは生きているのかもしれません。
そんな世界を子どもと一緒に感じたいじゃないですか。
子どもの興味に関心を持つって、そういう事かなって思います。
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