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「みんなの生活アート展」開催によせて

「表現」

~ 働きかけ、感じ、表現し、共感する生活 ~

 私たちはどのような場面において「表現」という言葉を使っているのでしょう。生活の中で、「表現して下さい」や「表現するので理解して下さい」、あるいは「今は素晴らしく表現されていたね」などというように、「表現」という言葉自体は日常の会話の中でそれほど多く使われているようには思えません。しかし、どこかで人間として生きる上で表現することは、大切だと認識しているようです。

 

 ところで、一般的に表現行為は、自分の意見や考え方(思想や哲学)をみんなに知ってもらう、あるいは言葉では表せない心を絵画・造形・音楽・身体などの手段によって表すなど、自分を外へ向けて開放することと考えられています。そこには、他者と心を通わせたい、理解してほしいという願いも存在し重要な位置を占めますが、他者がそれらをどのように思っても、それとは無関係で行われるもののように思います。それほどまでに何かを発信することは、人として生きる上で不可欠なことなのでしょう。

 

 「自分の内なる言葉を表さずにはいられない」という人間としての心の動きは、乳幼児期から命終えるときまでずっと存在し続けます。この「内なる言葉(言語ではなく)」は、表現したいという願いと同時に「感じること」が同時進行します。つまり、その感じることは、赤ちゃんの時からでさえ、自分が外界に向かって働きかけたことによって起こり、外界に存在するものが自分の感覚に投げ返してくる複雑さを受けとめ、それらが何度も繰り返される体験によって、確かなものとして自分の中に構成されます。

 

 「ざらざら、つるつる、ぬるぬる、ごつごつ、すべすべ、じとじと・・・」日本語には、オノマトペと言われる「感覚を表す擬態語」がとても多くあります。それほど感覚を大切にして生活しているという証なのでしょう。

 

 近年、結果や成果を重視するあまり、これらの感覚をじっくりと見につけることを軽んじています。それらを通じてあふれ出る表現よりも、「できる」という目に見えやすいことの方を子どもたちに早く身に着けさせようとします。しかし、これは大変危険なことと思います。感じられ、表現でき、それらが充実することによって、なにかができるようになるその大きな流れが失われることは、人としての成長の妨げになるのではないでしょうか。年齢を重ね、身体的には成長していても、その身体自身が微妙な感覚を失ってモノゴトから感じることができず、他者に対して働きかけることもなく、他者の働きかけを感じることもできないとするならば、生きる上で重要な関係性も不全の状態になるでしょう。毎日の生活での楽しさも、悲しみも、喜びも、苦しみも、その他大切な感情自体が育まれていないとするならば、どのような未来が待ち受けているのでしょう。それほどに、自ら働きかけ、感じとり、表現し、表現を受けとめ、共感することは、人間としての条件と言えるほど重要なことなのです。

 
 子どもたちを見れば見るほど、子どもたちの感覚は、大人の鈍りきった感覚(それも必要なのですが)とは格段の違いを持っていて、その敏感さに驚かされます。子どもたちの感じる力、表現する力は保育の中にあってより力強く開花します。その表現を皆さんとともに共有し、喜び合えますよう願っております。
 
 
社会福祉法人赤碕保育園  理事長 福田泰雅
社会福祉法人赤碕保育園
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